@article{oai:tcu.repo.nii.ac.jp:00002549, author = {金, やすみ}, issue = {32}, journal = {キリストと世界:東京基督教大学紀要, Christ and the World}, month = {Mar}, note = {本論文は、戦後⽇本人宣教に従事し福音派教会の一つの源流となったジョン・ヤングと、その⽗で戦前・戦中の抑圧下にあった在⽇朝鮮人宣教に従事したルーサー・ヤングの神社参拝拒否の神学を、聖書信仰を中心軸としてまとめた研究である。カナダ長老教会の宣教師で保守的な聖書信仰に立つ彼らは、置かれた時代・場所は違ったが、教会合同・エキュメニカル・神社参拝の問題といった同じ課題に直面していた。彼らは、自由主義者との宣教協力、偶像崇拝の罪を犯した者への対応に関して異なる点もあったが、それは両者ともに置かれた時代状況と委ねられた宣教対象を前にして、神の言葉を「今」に当てはめて神学した結果であった。特に、戦時下に自由主義神学によって神の言葉を失った結果、天皇制が孕む偶像性を⾒抜けず偶像崇拝の罪を犯しながらも依然として悔い改めない戦後の⽇本の教会を目の当たりにしたジョン・ヤングは、戦後の「今」、教会が教会の命である神の言葉を取り戻し、悔い改めて歩み出すために必要なことは、預言者として彼らの罪を曖昧にせず大胆かつ明確に指摘することだと考え、積極的に神の言葉を説き、あらゆる機会を用いて悔い改めを促し続けた。このように、神の言葉を妥協なく説き続けた彼らの宣教の生涯は、悲惨な歴史の教訓から、神の言葉こそが全てであることを思い知らされた者としての歩みであったように、今を生きる私たちもまた、真に歴史の反省に生きる者として、神の言葉を妥協なく語り続ける徹底した歩みをしているか問われている。}, pages = {73--103}, title = {ジョン・M・L・ヤングと⽗ルーサー・L・ヤング 戦中と戦後の在⽇宣教師に⾒る「神のことば」と宣教}, year = {2022}, yomi = {キム, ヤスミ} }